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追悼 金城祐治さん 
2007年5月

5月19日(土)
辺野古「命を守る会」 金城祐治・代表急逝
News Photo

 辺野古の基地反対運動の中核を担う「命を守る会」代表の金城祐治さんが、19日朝亡くなりました。73歳でした。

「貧乏人には貧乏人の闘い方がある・・・」。金城祐治さんは基地建設に反対する辺野古のお年寄りを中心に結成された「命を守る会」で10年間、基地のない平和な暮らしを求め続けてきました。

19日朝6時前、肺がんのため亡くなりました。ご冥福をお祈りします。

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金城祐治さん死去/72歳「命を守る会」代表 5月19日(土) 沖縄タイムス 夕刊 5面
【名護】普天間飛行場の移設に反対する名護市辺野古の市民グループ「命を守る会」代表の金城祐治さんが19日午前、亡くなった。72歳。

 金城さんは1999年から「命を守る会」の代表を務め、普天間飛行場の移設に一貫して反対し座り込み運動など反対派の象徴的な存在だった。キャンプ・シュワブが普天間飛行場の建設候補地に挙がって以来、名護市民投票など反対運動の先頭に立ってきた。温和な性格で親しまれ県内外から訪れる人たちに、移設反対を熱心に説いた。

 大阪府出身で、30代の時に父の故郷辺野古に戻った。最近は体調がすぐれず、本島中部の病院に入院していた。

基地建設阻止 おおかな通信より
 今日は皆悲しみに暮れながらも阻止行動を続けました。祐治さんが私たちに伝え てくれた「平和の心」を、今度は私たちそれぞれが「1人の人間」として伝えて行く時です。祐治さんが目指した「新基地建設白紙撤回」はまだ達成されていません。しかし祐治さんの死を「志半ばなのに残念です」と表現するとしたならば 、それは違います。祐治さんは辺野古に基地を造らせなかったではないですか。 伊江島の阿波根昌鴻さんのように徹底非暴力で、座り込んで平和を伝え、そして辺野古の海を見つめながら、絶対に基地を造らせなかったではないですか。「平和を守るというのはこういうことだよ」と、その姿で示してくれていたではない ですか。

 施設局が車で辺野古漁港に来た時、座り込みのメンバーたちが炎天下で熱くなった道路の上にゴザを敷いて座り、施設局の人たちにもゴザを出し、向かい合って心を込めて話しあっていた時の祐治さんの一言一言が今も心に響きます。あくまでも「本当の人間」であり続けようとした人でした。

 命を守る会の小屋で低音の独特の声でもの静かに語るその根気強さにいつも心打たれました。 以前、私は伊江島で生前の阿波根昌鴻さんの話を何度も聴く機会に恵まれました。阿波根昌鴻さんも独特の語り口で、徹底非暴力を命をかけて貫いた人でした。 沖縄のガンジーとも言われた人でしたが、今私の中では祐治さんと阿波根昌鴻さ んが重なって見えます。 徹底非暴力を貫くために必要なことは何かと私は考え続けてきました。1人の人間として真実の生き方をするためにはどうしたらいいのか考えてきました。それを「心を込めて考えなさい」と身をもって示してくださったのが阿波根昌鴻さんであり、金城祐治さんでした。

 銃を突きつけるアメリカ兵の前に座って、相手を尊重し、必ず伝わると信じ切って平和を語り続けた阿波根昌鴻さん。疲れた体に むち打ちながらも施設局の人たちに心から語りかけた金城祐治さん。非暴力を貫くために必要なこと、それは「人を信じ抜く」ということだと思います。敵とか味方とかではない、人間同士心を通わせるためには信じるということ以外に方法は無いということだと思います。

 暴力を振るう人間の心の弱さを自分のことのよ うに心配し、その「心」に「心」を持って臨む。暴力に対して暴力を持って臨んだとしたら、それは深い深い恐怖と不安の崖を共に転げ落ちてしまうような事態になります。暴力を持ってその崖を落ちていく人を、信じることを持って支えていくこと、それが本当の平和への道です。「こんなやつ崖から落ちてしまえ」という思いを持つとしたならば、それは暴力の再生産でしかないと思います。暴力を振るわれても振るい返すこと無く、相手の暴力を 止めようとしているのが辺野古で平和を創るための行動です。業者の方々にも、 施設局の方々にも、海上保安庁の方々にも、海上自衛隊の方々にも、「暴力に頼る作業」はして欲しくないのです。

 それを訴えるからには、私たちが非暴力でな ければならないのです。「暴力で対抗することも出来るけれども非暴力で行く」 というような「偽りの心」であってはなりません。「暴力を完全否定することが 平和への道」であると阿波根昌鴻さんや金城祐治さんは教えてくれたのではないでしょうか。 今日も施設局による作業は続けられました。海上行動は本当に消耗するのです。 阻止行動は「海のプロ相手」ですから、素人の集団ではなかなか思うように行かないことも多く、船にしがみつく、殴られても海底にしがみつくことしか出来ま せん。実に素朴な方法です。しかし損得勘定の一切無いその素朴さが人間として大切なのだと思います。

金城祐治さんのビデオ

5月19日(土)

命を守る会・金城祐治代表が亡くなりました。富田晋より全国の皆様へ。
「ジユゴンの家」日誌から

全国の皆様へ。

 全国の皆様。今日、僕の親父とも言える人が亡くなりました。祐治さんです。

 亡くなった直後、海上で船を操船中に電話で知りました。言葉になりません。この気持ちをどう表したらいいのか。

 涙が溢れ、止まらず、泣きながら船を操船しました。カヌー隊はオールを揚げ、悲しみと闘いの継続の意思を示していました。全員が泣きながら、されど祐治さんの意思を継ぐために闘いへと出ました。

 正直に言って「なぜこんな時に海に出なければならない。祐治さんのもとへ行きたい」と切に思いました。

人として泣きたいときもある、叫びたいときもある。それを抑えて海に出て闘う。このような状況を僕たちに強いているのは他ならぬ政府であることへ満身の怒りが込み上げてきました。そして涙も。

僕たちは祐治さんの気持ちに答えることは基地建設を阻むことだと信じ、闘いを今日一日継続しました。海上保安庁からの嫌がらせ、弾圧と闘いながら。

僕にとって祐治さんは人生の大半を濃密に過ごした人です。時には殴られて怒られました。時には酒とタバコの味を僕に教えました。時には人生の師として教えられ、語り合い。仲間として杯を交わし、これからの行く末を議論し、祐治さんはその後姿で僕に人生を教えました。僕が僕らしく生きること。人として生きること。若者が次代を担うのだということ。

皆さん、すみません。書いても、書ききれません。書いているだけで涙で画面がにじみます。

僕にとって今までの人生で一番にかけがえのない人が亡くなりました。

通夜に行ってお顔をあわせ、声をかけました。かえってきませんでした。触れて、声をかけました。冷たくなっており、安らかなお顔をしていました。

言葉にすることがこれほど難しいことはありません。

祐治さんは病室で夏芽さんに「今の若者は何をやっとるのか!若者が頑張らないとダメダ!あとは若者に任せる。」といっていたそうです。

僕のことは「晋は大丈夫か?あいつにもっとしっかりしたものを残してやりたかった。」と言っていたと後で初子さん(連れ合い)から聞きました。

祐治さん、祐治さん。祐治さん、祐治さん!

すみません。僕たちがもっともっと頑張れたはずです。僕がしっかりしていれば。

これからもっともっと頑張ります。見ていてください。僕の横で見ていてください。

祐治さんと過ごした7年間、本当に幸せでした。祐治さんの魂、祐治さんの思い、全て僕自身の魂に刻まれています。


全ての若者達よ!祐治さんの子供達よ!どうか、どうか最後までともにいて欲しい。

僕は祐治さんの代わりは出来ない。けれど引き受けようと努力することは出来る。未熟で、本当に未熟で色々な心配をかけてごめんなさい。精一杯頑張る。みんなの思いを引き受けるから。一緒に闘ってください。頼りないかもしれないけれど引き受けるから。

これからもっと厳しい時代と闘いが待っています。しかし、祐治さんは僕たちに示してくれた「継続は力なり、力は勝利なり」と。そして2度も基地建設を阻んできた。

「貧乏人には貧乏人なりの闘いがある。」

「心にいつも遊びと余裕を持て。」

「時代は動く、だから辛いし、楽しい。」

「もうちょっとしっかりしろ!」

「一つ一つの言葉に重みを持て。人に伝えることを大事にしなさい。」

「おまえが引き受ける番だ。ちょっと心配だけどな。」

「信じることを忘れちゃいかんよな。」

「年寄りには年寄りなりの考えがある。生意気ばかり言うな!」

「自分が大事だと思った言葉を継続して伝えなさい。」

「晋の財産は人間関係だ。大事にしなさい。そういうのを人徳って言うんだぞ。」

「明日、俺と一緒に現場に立つか?逃げてもいいぞ。(2004年4月18日の夜・強行前夜)」

「お前なぁ、四の五の言ってないで闘え!」

「ここにいる仲間たちを大事にしたいよなぁ。頼りないのが多いけど。」

「根を張って積み上げろ。長いトンネルの先には希望があるぞ。」

「俺は長くない。晋、分かっているな?」

「周りを見て考えろ。お前は突っ走りやすい。ちゃんと自分を抑えろ。」

「カーッとなったら足元を見る。闘ってもそれでこけたら意味ないでしょ。」

「STOP YUJIって俺のことか?まったく紛らわしいよな。」

「命を守る会で亡くなった10人の思いを引き継ぐ人間が必要なんだ。」

「頼りないリーダーでごめんな。」

「生きろ!最後まで生きろ。俺の前で死にそうな顔をするな!海から生きて帰ってこい」

「」まだまだたくさんたくさん教わりました。伝えきれないほどです。

一つ一つの言葉を自分のものとして引き受けていくには時間がかかると思います。しかし、それこそ僕にとって自分らしさなのです。原点なのです。

9月に僕とサオリちゃんの子供が生まれてきます。

最初「樹里」という名前にしようと思っていました。おばぁやおじぃたちが辺野古の闘いのことを「一本一本、木を植えていく闘い。それが育ち大木となり、森となり、基地建設を阻む」と言っていました。一本、一本の木を植えている里から生まれる子供だから「樹里」にしようと思いました。

しかし、話し合って変えました。

本当は子供が生まれたら祐治さんに真っ先に見せに行くつもりでした。それが叶わない悲しみと僕たちが祐治さんの意思を引き継ぐ決意として名前を「祐樹(ゆうき)」とします。

おじぃ・おばぁが言っていた「樹」の話し、そして祐治さんの「祐」の字をとりました。

祐治さんと共にあった7年を引き受け、僕は人生を賭けて基地建設を阻止します。

皆さん共にあってくれますか?

共にあってくれると信じています。

駆けつけられる方は事前調査を阻止するためにどうか辺野古に集まってください。闘いましょう。全ての人々の平和と平等のために!!祐治さんの魂は今、ここに共にある!!


5月19日(土)
「ジユゴンの家」日誌から

辺野古から緊急情報

2007年05月20日
5/20朝

今日の辺野古は青空が広がっているようです。予報は晴れのち曇り。特に海の天候は変わりやすく、沖縄ではごく一部の場所にだけ雨が降ったりします。美しい海と空、それは沖縄の人たちの厳しい歴史を根底から支えて来たものです。以前戦跡や基地巡りをした後「沖縄戦の悲惨さを知って、私は呑気に海では泳げない」と呟いた青年がいました。それに対してウチナンチューの女性がこう言いました。「この海と空を観てあなたは綺麗だと思わないの?。沖縄を支えて来た海と空の素晴らしさに身をゆだねないで、自然の大切さや戦争の醜さを本当に言うことが出来るの?」。横でそれを聴いていた私は、それ以来沖縄の自然に対して謙虚に、そして自ら大切に楽しむことにしました。座り込みの集まる人たちは、辺野古の海の美しさに心から感謝し、そしてその海と空が彼らを支えているのだと思います。今日、辺野古の海と空と共に生きた金城祐治さんを天に送ります。詳細は一つ前の書き込みをごらんください。

再訂正版

金城祐治さんの出棺と告別式の情報の再訂正版です。情報が錯綜して申し訳ありません。最初に出た情報が正しかったようです。明日20日(日)「11:00」に出棺し命を守る会事務所前を経由して行くそうです。16:00から告別式を「辺野古・平和の塔」そばの葬祭場で行います。平和の塔から道を少し上った所だそうです。電報などの宛先は以下の通り。「905-2171沖縄県名護市辺野古243・命を守る会」

明日の情報(訂正版)

金城祐治さんのお通夜が今晩行なわれています。明日20日(日)10:20に出棺し命を守る会事務所前を経由して行くそうです。16:00から告別式を「辺野古・平和の塔」そばの葬祭場で行います。辺野古の美しい海を見下ろす場所で「平和を信じきった」祐治さんの今までの人生に感謝し、皆で祐治さんを送りましょう。先ほど出棺時間を11:00としましたが10:20の間違いでした。場所も平和の塔の前ではなく、その近くの葬祭場のようです。情報確定前に流して申し訳ありませんでした。

金城祐治さん

一つ前の書き込みでお知らせしました通り、辺野古で10年以上に渡って座り込みを続けていた「命を守る会」代表である金城祐治さんが亡くなられました。

 記事を二つリンクします。「沖縄タイムス・5/19夕刊」金城祐治さん死去/72歳「命を守る会」代表、「琉球朝日放送(QAB)・5/19」辺野古「命を守る会」 金城佑治代表急逝。皆悲しみに暮れながらも阻止行動を続けています。祐治さんが私たちに伝えてくれた「平和の心」を、今度は私たちが伝えて行く時です。祐治さんの死を「志半ばで」と表現する人がいたらそれは違います。祐治さんは辺野古に基地を造らせなかったではないですか。伊江島の阿波根昌鴻さんのように徹底非暴力で、座り込んで平和を伝え、そして辺野古の海を見つめながら、絶対に基地を造らせなかったではないですか。「平和を守るというのはこういうことだよ」と、その姿で示してくれていたではないですか。今日も明日も作業は続いています。自分の心で考え、自らの意志で辺野古に集まってください。共に平和を実現しましょう。

2007年05月19日

5/18・13:00

海上行動は非常に広範囲にわたるので、カヌー隊も大変です。作業船はポイントごとにマーカーとしてブイを浮かべます。そこに先回りするのですが、波の上での移動は想像以上にきついようです。昨日はカヌー隊も出艇前に海上保安庁のボートに妨害されたようですが、なんとかかいくぐり海に出ているようです。行ける方は駆け付けて、日米安全保障条約の本性を、沢山の方々の心で見届けてください。

5/19昼

もうすでに施設局側は阻止行動に対するネガティブキャンペーンを張り出しました。タイムス、新報のHPで記事を丁寧に読んでください。とにかく何でもいいから阻止行動のあげ足を取りたいようです。こっちは素人ダイバー、相手は権力の後ろ盾のあるプロのダイバー。こちらは暴力を受けながら、ただ海底にしがみつくしかできません。彼らの安全が守られますように。

5/19・9:00

タイムスの朝刊によれば、今日か明日にでも作業を終了すると報道されています。土日も構わず作業を続けるようです。また安倍さんの談話もあり、海上自衛隊の導入で事がスムーズに運んでいるという内容で全く問題視していません。無責任極まりない発言だと思います。それと昨日のレポートで「カヌー隊が作業船にしがみつき」と書きましたが、実は彼らは2時間、1時間、1時間と計3回しがみついているのです。揺れる海の上で船に何時間もしがみつくことがどれだけの体力消耗になるか想像出来ません。人数がいれば交代も出来ますし、監視行動の上でもより安全で有効です。土日しか来られない方も是非辺野古に向かってみてください。海に出られなくても辺野古にいて、ネットの情報でない現場を見て、そしてそれぞれの場に帰ってから人に伝えることがどれだけ大きな力になるか分かりません。皆で力を合わせましょう。

5/19・8:00

沖合で作業船と思われる船影を確認し、辺野古漁港から雇われた漁民のチャーター船が出港するのに合わせてカヌー隊出航しました。生活のために雇われれば船を出すしか無い人たちもいます。辺野古の中でも様々に意見が割れていますが、それでも作業にあたる皆の心に声をかけ続けるしかありません。海上行動はとても難しい阻止行動となっていますし、皆疲れを押しての阻止行動ですが諦めません。昨日は少しの時間でも辺野古に行かなければということで駆けつけてくださった方々も沢山いました。沢山の監視の目が必要です。また全国で声を上げることが大切です。それぞれ出来る力を尽くしましょう。


5月Iへ